今は、飛ぶ鳥を落とす勢いの関ジャニ∞ですが、
下積み時代は、かなり苦労しています。
・初コンサート:大阪松竹座
知名度のないぶん、
当初は人気が伸び悩み、約1000人収容の客席はガラガラの状態であった。
チケットを初めて完売できたのは、3年目の大阪松竹座です。
・バレーボールワールドカップのイメージキャラクターしていない
V6・嵐・NEWS・Hey! Say!
JUMP・NYCboys・Sexy
Zoneと、ジャニーズ事務所が
大会に合わせてデビューさせるが関ジャニ∞はキャラクターではなかった。
・ デビュー会見
結成からおよそ2年後にCDデビュー。
発売地域はメンバーの出身地である関西限定。
記者会見は、レコード会社の屋上という質素なものでした。
・ デビュー曲
ジャニーズとしては異例のタイアップ無しです。
・ PV撮影
PV撮影が行われた場所は白い壁と白い床の安易なセット“白ホリ”。
撮影所に設置された冷蔵庫から飲み物を選ぼうとすると、
なんと「ストップ! 腐ってるからダメ」と注意されたという。
コメントで
「デビューの際のプロモーション撮影の日に、ジュース飲もうと思ったら賞味期限が5年くらい切れてた」ことや、
「そんな待遇なのに、5分くらい遅刻しただけでテイチクのスタッフから激怒された」
また、
セカンドシングル「大阪レイニーブルース」のPV撮影は、
メンバーが集まらないからと4人だけで撮影した。
しかも晴れた日に大阪の街を傘をさして歩いています。
「『大阪レイニーブルース』のCDについた傘は、
記入された関ジャニ∞って文字が雨にぬれると消えるそうです
・ コンサート
床はタキツバのセット。バックはTOKIOのセットの借り物
ライブのオープニングは
デビュー曲「浪花いろは節」をドラムの大倉忠義が和太鼓を打ち鳴らしながら始まる設定だった。
しかし
スタッフが〚太鼓のバチ〛を忘れてしまい太鼓の前で構える大倉に、
ステージ下から「ゴメン! バチ忘れた!」と伝えたそうです。
・事務所
下積み時代はマネジャーの同行なし。
に関西から新幹線の自由席で移動。
ジャニーズアイドルとしては不遇な扱いを受けていました。
KAT-TUNとか後輩も名前がついて、村上信五が思い立ち、
ジャニー喜多川社長に“かっこいい”グループ名をつけて欲しいと頼んだのがきっかけです。
彼らは一度、上京してきたもののなかなか芽が出ずに、大阪に帰るという挫折も経験しています。
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